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相田義人氏・カスタムナイフを語る

2006年5月 転職支援WEBサイト【人材バンクネット】・転職研究室 「魂の仕事人」において
NAPIのナイフ師匠である相田義人氏がカスタムナイフとその仕事に賭ける思いを熱く語られました。
相田氏と人材バンクネット担当者様のご厚意により,NAPIサイトに転載・保存させていただきます。
非常に読み応えのある内容です。カスタムナイフファンの皆様,是非ご一読下さい。


写真/bushi-HONDA
取材・構成/山下久猛(人材バンクネット編集部)


相田義人 プロフィール

 1948年8月8日・東京都板橋区生まれ。
 世界でもトップクラスのカスタムナイフメーカー。
 「近代ナイフの父」巨匠・ラブレスのナイフ工法とシステムに熟達。
 世界で唯一ラブレスと同じ「リバーサイド・ウエスト」の刻印を許された正統かつ唯一の後継者。
 ナイフメーカー30周年を記念したモデルを発表。
 海上保安官、山岳救助隊員、自衛隊員、猟師、冒険家など、
 自然の中で生活、救難活動を行うプロから一般のアウトドアフリークまで幅広いファンをもつ。
 海外からも高い評価を受けている一流のナイフ職人。  
 有史以来、人類にとってなくてはならないものとして使われてきた道具・ナイフ。
 そのナイフ作りに命を賭ける。


 ■ 相田工房
  マトリックスアイダ/武蔵野金属工業所
  〒175-0094東京都板橋区成増2−26−7
  TEL:03(3939)0052  FAX:03(3939)0058
  Webサイト:リバーサイド・ランド
  e-mail  knifemaking@matrix-aida.com
  営業日:年末年始以外はほぼ無休(ナイフ関連行事のため臨時休業あり) 
  営業時間:午前10時より午後6時

 
   
  『相田義人のカスタムナイフメーキング Vol.1  3"Semi-Skinner』

  文章では解りにくいナイフメーキングのテクニックを全編約45分の映像で余すところなく表現。
  定価 4,500円(税込)
  ■お問い合わせ先:
  販売元 武蔵野金属工業 マトリックス・アイダ TEL:03(3939)0052





【用途のあまりに広さにより日本語に訳されなかったナイフ】

「ナイフは、人間が火の次に手に入れた道具である」。これは僕の師匠であるボブ・ラブレス(注1)の言葉なんですが、ナイフは有史以来、人類が生きていく上でなくてはならない道具として使われてきたわけです。時代によってさまざまな人びとに使われてきたナイフですが、太古の人が使ったものと、現在僕たちが手にしているものとを比べてみても、形状は大して変わってないんですね。今後も人類が存続していく限り、形状は大きく変わらないと思っています。ただ鋼材だけは進化し続けてきた。時代時代の最高の素材が使われてきたんです。石器時代の石をスタートに、骨、青銅、鉄と移り変わってきて、現代のステンレスに到達したわけです。
でも現代の一般の人はあまりナイフを使う場面ってないですよね。でもナイフという道具を使うことによって、本能として人類に刻み込まれている「切る」という行為を呼び覚ますことができるんですよ。
それだけにナイフに求められるものは厳しい。どういうことかというと、ただ「切る」といってもいろいろです。木を切るのと缶詰のフタを切るのとは違う。実際に「切る」というカテゴリーに入るものをすべて集めたらものすごい数になってしまうので、そんなものを持って移動できないでしょ? でもナイフ1本あれば、たいがいの「切る」ってカテゴリーのことは全部できちゃう。知恵を使えば、やりにくくても全部できちゃう。例えば缶切りは缶切りとしてしか使えない。缶切りで枝は切れないよね。だけどナイフだと開けられるでしょ。
やりにくいかもしれないけどナイフでできることってものすごく多くて広い。今の世の中、こういう道具ってナイフのほかにはないです。そこがナイフの一番の魅力ですね。特に日本の場合は、刃物が使う目的・用途によってものすごく細分化されていてそれぞれに名前がついてますよね。
でもナイフが西洋から入ってきたとき、日本語に訳せなかったんだよね。野球は訳せてもナイフは訳せなかった。用途が広すぎるから、訳しようがなかった。未だに訳せてない。
だからナイフとはなんぞやと問われたときに、得体の知れない漠たるものなんだけど、何か特別なものというイメージをみんな抱くんですよね。鉋(かんな)とか鋏(はさみ)とか日本語にちゃんとなってれば、イメージしやすいでしょ。イメージできると安心できますよね。そこが日本語に訳すことができなかったナイフの不幸な点なんですよね。

注1 ボブ・ラブレス――ロバート・ウォルドーフ・ラブレス(ボブは愛称)。1929年、オハイオ州生れ。カスタムナイフメーカーの世界的巨匠。カスタムナイフというジャンルを生み出した「現代ナイフの神様」と呼ばれている。あの文豪ヘミングウェイもラブレス氏のナイフを愛用していたと言われている。
ご参照に以下をご覧下さい。
【ラブレスとJKG】


【小さいころから刃物に接していた】

「ナイフ」っていう日本語にできない漠たるものだから、「ナイフって危ないものですよね?」って不安げに言う人も多い。確かにナイフが人を傷つけたり殺してしまう道具として使われてしまうこともありますよ。それも確かにナイフの一面です。それを隠してわざといいところばっかりを見せる必要はないと思いますよ。短絡的、直情的な人間のためにナイフを含めた刃物が迫害を受けるようなことがあっちゃいけないと思うけど、かといって、刃物は危なくないっていうのはウソだから。それはキチっと言っていくべきだと思いますね。

だけど毒にならなきゃ薬にもならないから。そういった意味では毒は毒なんですが、でもそれは加減の問題でしょ? この場合の「加減」っていうのは人間の理性だったり、いろんなことなわけじゃないですか。結局、危ないから使わせないっていう考え方になっちゃうと、それこそ料理のできない大人や鉛筆の削れない子供しかできなくなっちゃう。鉛筆も削れないような手で、他のものが作れるなんて思えないじゃないですか。 だからこういうことも含めてナイフは刃物の中で一番過酷なところにいるし、使いこなせるかどうかは使う人間の知恵や理性にかかってくる。逆に言えば、人間はナイフに試されるんですね。ナイフを毒にするも薬にするも、使う人間次第。人を殺すのはナイフじゃなくて人なわけだからね。
そんなナイフを作り始めて今年で30年ですが、元々刃物は身近な存在でした。実家が金属加工会社を経営してたんです。創業は1914年。今は兄貴が社長で4代目なんですよ。
工場では最初、どうもハサミみたいなものを作ってたらしいんです。ウチの親父はいわゆる技術屋で、親父の代になって安全カミソリ、ジレットみたいなのを作るようになったと。安全カミソリって開けると「OPEN」と書いてある。これは親父の受け売りですけどね、貿易の自由化が始まって最初に入ってきたのが安全カミソリだったらしいんです。そうするとジレットみたいな外資の巨大企業が入ってきたら競争にならないわけですよね。そこで親父が他に何かないかって考えて、爪切りを作るようになった。それから理美容関係ですね。床屋とか美容室で使うものっていうのがメインになっていったんです。
親父は仕事をよそに発注することを嫌ってました。素材からメッキまで、外注に出すってことが一切なくて、全部自前の工場でやっていたんです。その親父の方針で「将来はおまえが工場長になれ」と。社長は兄で、いわゆる営業ですよね、私は現場の方を工場長という立場でやっていけと。だから工場の中の全部のポジションが分からないとダメだというので、小さいころから仕事の内容を見せられていて、中学2、3年の頃から家業を手伝わされていました。その中で遊びで小刀を削ってたりしてました。仕事は大学生になるころにはひと通りやれてましたね。


「考古学なんかでメシが食えるか!」

でも僕は家業を継ぐのはイヤだったんですよ。だから仕事の手伝いも嫌々やってました。やらされるからしょうがなくやってたという感じで。僕は理工系は向いていないと思っていたから。手先も器用だって思ったことないしね。未だにそう思ってる。自分は別の方向へ行きたいと思っていたんですね。子供の頃から歴史とか地学とかが好きだったので、漠然と考古学をやりたいなって思った。
そしたら親父が「おまえ、考古学なんかで飯が食えるかよ」って。戦争を経験した人だから、とにかく飯が食えるかって話になっちゃうんだよね。「そんなもので食えるわけねぇだろ」と。もう死んじゃったから言うけど、ウチの親父は「教育は親の権利である」というのがポリシーだったんですよ。だから親が行かせたい学校以外は子供は行く必要はないって言うの。
当然親は家業を継ぐことが前提だったから、理工系の大学に行かせたがった。僕もまぁ軟弱だったのでね。友達がみんな大学行くって言ってるし、僕自身も行きたくないわけじゃないし。でも困ったことに理数系は全くダメでね。だからみんなに「おまえが理工か」なんて言われましたけどね。でも日大の生産工学ってところを受けたら受かっちゃった。それで行くことにしたの。
今考えれば、考古学の方へは行かなくて正解だったと思うね。そのころは漠然とそれこそ若い人達がなんとなく「転職」と言っているのと同じくらいの感覚で「考古学」って言っていたんだと思いますよ。だから行ったとしても絶対モノにならなかっただろうし、そう分かったときは工場にも戻れないだろうし。それこそ「どうしましょう」となっていたと思います。



【クーパー・ナイフがきっかけでナイフ職人の道へ】

大学に入っても引き続き実家の工場を手伝ってました。そのころには実際にラインの中に入って作業してましたね。そのころ、ナイフに関わる仕事もしてました。刃物製作と平行して、兄が西ドイツ(当時)の刃物メーカー、ヘンケルス(注2)の代理店をやっていたので、ヘンケルス製の刃物は子供の頃からよく知ってたんです。現地へ見学に行って、ナイフがどうやってできるか、一通り見たこともありました。
アメリカには一人でナイフを作るという商売、いわゆる「カスタム・ナイフ・メーカー」という職人がいるってことも大学の頃から知ってはいたんですけど「そんなこと本当にできるわけがないだろ」と思ってた。つまり、小規模でも一応システムの中で育ってますから。小さな工場でしたけど、そのポジション、ポジションにエキスパートがいるわけですよ。いわゆる職人がね。
そういういろんな職人の手をくぐってひとつの製品ができるわけだから、個人でちゃんとしたナイフなんか作れるわけがないと。現物を見ていないから信用していなかったんだね。ヘンケルス製の方が良いに決まってると思ってた。

でもネルソン・クーパー(注3)っていうアメリカのカスタムナイフ職人のナイフを最初に手に取ったときに驚いた。ドイツのものに比べて数倍・数段の完成度とオリジナリティだったんです。「あぁすごいな、コレをひとりで作っちゃうのかよ。あの話は本当だったんだ」って驚いたんです。
でもすごいと思ったんだけど次の瞬間には自分にもできると思ったくらいだから、それほど技術的に水準の高いものではなかったと思います。どうやって作ればいいかは、そのナイフを見た瞬間にわかりましたから。「これくらいならできないことはないかな」と思った。実家には材料もありましたし。それで実際にやってみたら、なんとかできたんです。「これは結構おもしろいや」と思って。
それで少しずつ作り始めたわけです。25、6歳くらいのころだったかな。まぁ登山で言えば、身近な低山を登り始めたら「登山っておもしろいや」ってなってどんどん登り始める。そうすると、やっているくちにエベレストがあるって話になってくるじゃないですか(笑)。
そのクーパーのナイフを見るまでは、ナイフなんて作りたいなんて思ったことがなかった。僕のナイフ職人になる最初のキッカケはクーパーと言えるでしょうね。

注2 ヘンケルス――3世紀もの長い歴史と伝統をもつドイツの刃物メーカー。ナイフ、包丁などキッチン用品の世界的ブランドとして多くの人に愛用されている

注3 ネルソン・クーパー――ジョン・ネルソン・クーパー。1906〜1987年ペンシルバニア州生まれ。後にカリフォルニア州に移住。アメリカンカスタムナイフのパイオニア




【一生関わっていきたい】

ラブレスのナイフを見たときの衝撃は言葉では言い表せないほどすごかったですね。世の中にこんなに綺麗なものがあったのかって思った。最初にどういう状況で見たかはもう忘れちゃったんだけど、とにかくラブレス・ナイフの現物を見る機会があったわけです。手にとって。そしたら全然違うわけですよね。クオリティから何から。とにかくデザインが圧倒的に違った。表現のしようがないですよね。これはすごいや、こんなことを考えられちゃうんだって。そこで考え方がガラっと変わっちゃった。売るとか売らないとかはどうでもいい、一生ラブレス・ナイフに関わってもいいかもしれないなと思ったんです。
ただウチの親父がそれを許さなかった。「技術屋と職人は違う」と言うわけですよ。広い視野で全体を見られるのが技術屋。職人は視野が狭くなって自分のことだけしか見られないから絶対になってはいかんと。職人のいけないところは何でも競ってしまうところだと言うんです。隣同士で仕事をしてても「オレの方が早い」とか「オレの方が綺麗だ」みたいに。とかくそこへ行ってしまう。それはダメだと。「おまえのやっていることは、どうも職人の方だから。趣味で楽しみでやっている分はゴチャゴチャ言わないけれど、それを本職にするのは絶対ダメだ」と。でも僕は段々ナイフ職人の方へ気持ちが引っ張られていった。すると親父にしてみればおもしろくないわけですよね。「とんでもない話だ」って。
だからナイフ作りは親父に隠れてやってました。そのころ僕が会社の開け閉めをやる係だったんです。会社の鍵は僕が持ってたから、営業時間が終わってからその辺の道具を使ってナイフを作ってた。営業開始は朝8時からで、朝7時半には社員が来るので、7時になると後片付けをするんです。何事もなかったような顔して(笑)。まるで隠れキリシタン状態。でもあの頃が一番おもしろかったですよ。好きなように、熱く作れてたから。


【ラブレスに手紙で「教えて」】

そんな感じでラブレス・ナイフに出会って3〜4年は、ラブレスに関する資料もいろいろと集めて、ラブレスのナイフを見ながら独学で作ってた。でも少しでもラブレス・ナイフに近付こうとやるんだけど、どうしてもうまくいかない、わからない、納得がいかない。だからラブレスのところへ行って、わからないところを直接聞かないとダメだって思った。月の裏側と同じで本当のところは実際に見てみないことにはわかりませんからね。それでつてを探したんですけど見つからなくて。それでもうしょうがないからラブレスに手紙を書いた。1977年だか1978年くらいだったと思います。31歳くらいのとき。

いきなり手紙を出すなんてすごいって? しょうがないでしょ、それしか方法がないんだから。むしろそういうことをやろうとしないというのが分からない。例えばやりたい仕事、入りたい会社があるんだけど、募集が出ていないからあきらめるとかね。理解できないね。そこまで分かってるんだったら、募集が出てようが出ていまいが、履歴書を送るなり、人事に電話して採用に関する何らかの情報を得るなりいくらでもやりようはあるでしょ? こういうことをやらないってのは相当にバカだと思うよね。それはね、「できる・できない」じゃなくて「やるか・やらないか」なんだよ。当然のことだよ。
手紙は貿易をやってて英語が堪能だった兄貴に書いてもらった。僕は英語が全然ダメだったからね。実際にどんなことを書いてもらったかは忘れちゃったけど、「自分はナイフを作っているんだけど、わからないところが多々あるので、話だけでも聞いてくれないか」そんなような内容だったと思うよ。
そしたらすぐに「いいよ、来いよ」ていう返事が来た。そのころすでにボブさんは大巨匠なんだけどね。それだけにうれしかったね。そのことを親父に「こういうわけで、行きたいんだ」って伝えたら「おまえ、行ったら帰ってこないだろう」って言われて。いや、それは向こう次第だからわからないって答えたら「盆暮れの休み10日間くらいを使って行く分には個人の旅行だからしょうがない。それでいいなら行ってこい」ってなった。だから自分で作ったナイフを1本持ってラブレスのところに行ったんだ。


【行けばなんとかなる】

ボブ(ラブレス)さんに会いにアメリカへ渡ったのは31歳の頃。もちろん英語なんてしゃべれませんよ。でもナイフの話でしょ。これが政治や文化の話だととてもしゃべれないけど「このテーパータングの取り方がわからないんだ」みたいなことは何とかしゃべれたんだよね。でも今でも英語は得意じゃないんだよ。行く前に勉強しなかったかって? そんなバカなことをするくらいならナイフ作っていたいよね(笑)。行きゃなんとかなるもんなんだよね。
それ以降、ボブさんの工房には今でも通ってるけど、最初の8年間は毎年3〜4回通ってました。1回につき大体2週間くらいだね。だから僕はボブさんところで住み込みでずっと何年も修行したってわけではないんだ。行ったり来たりを何度も繰り返してた。
あとはボブさんが日本に来たときに教わったりもしたね。ボブさんの二人目の奥さんが日本人で、その奥さんの実家がうちの工房とすごく近いんですよ。ボブさんが日本に来るとその実家に泊まってるから、うちの工房へしょっちゅう来る。だからココで教わったりもしたんです。そんな関係だったんですよ。


【巨匠なのにフランク 】

ボブさんはとてもフランクであったかい人だね。全く見ず知らずの日本の若者が「ナイフ作りを教えてくれ」という手紙を送ってきただけで受け入れてくれるくらいだから。人格者といえるでしょうね。あとね、とても繊細な人。怒るとめちゃめちゃ恐いけどね。でも修業中に怒られた経験はないですね。教えてもらってる最中に「そうじゃねぇよ」って「コーン」って小突かれたことはあるけど(笑)。何でも気軽に教えてくれるし。とてもやさしい人ですね。

よく職人の世界では「技術は見て盗め」っていうけど、あれはウソだよね。そうじゃなかったら「連綿」という言葉なんかないですよ。確かにある部分では言葉で言い表せないこともある。そういう場合は、「オレのやっていることを勘どころとしてつかめ」という言い方はあるかもしれないけど、「盗め」なんて絶対あり得ない。そういうことを言うヤツは単に教えられないだけなんですよ。だからそんなところで働いたってダメ。ちゃんと教えてくれるところで働かないと。早く一人前になりたいんだったら回り道しちゃダメですよ。

あと、ボブさんはオーガナイズする力がものすごくある人だね。だって彼が
ナイフメーカーをギルドっていう組織(注4)にまとめあげなかったらカスタムナイフっていうカテゴリーは絶対になかったわけだから。カスタムナイフ文化を確立して世界中に広めたのは、ボブさんだからね。スゴい人ですよ。ナイフ職人がナイフ作りで食べられているのは彼のおかげだといっても過言ではないと思う。ナイフ職人と言っているけど、彼はデザイナーでありながら、プロデュースの力も十二分に持ち合わせていたわけ。

注4 ナイフメーカーをギルドっていう組織──1970年、ラブレス氏はアメリカ・カスタムナイフ・ギルド(AKG)の創設に参画。アメリカのナイフ職人をまとめあげ、ナイフ文化の確立に尽力。さらに日本にはナイフメーカーギルドがないと知ると、1980年、日本・カスタムナイフ・ギルド(JKG)を設立。初代会長に就任し、ナイフ及びナイフの使用方法に関する正しい知識の普及やナイフメーキング、ハンドメイド・ナイフに関する知識、技術の相互公開などに尽力。JKGについての詳細はこちら

【技術よりもまずはデザイン】

ボブさんに自分が作ったナイフを見せて最初に言われたのが「デザインの勉強をしないとダメだね」ってこと。でも大きく考えればデザインっていうのはなにもナイフに限ったことじゃないんだよね。生き方にしたってデザインだと思うし。そういうことも含めて「デザイン」を学んだかな。
デザインって感性とかセンスによるところが大きいんじゃないかって? いや、そんなことないんじゃない? 努力でいけると思うよ。そのためには早い段階で何にでも興味を持って吸収しようとしないとダメですよね。そのためにはやはり良いものをたくさん見るってことが大切。悪いものいくら見たって意味ないから。
技術に関してはあまり教えてもらわなかったね。技術的にはだいたいできてた。それよりも彼の仕事を手伝わされたよ。「とにかく仕事しろ」って。実践の中で教えてもらったのがやっぱり一番良かったね。削り方なんかは丁寧に教えてもらいました。その中で「こうやるんだ、ああやるんだ」って身につけていったんだね。


【ナイフ作りはシステムだ】

あとボブさんがよく言っていたのは「とにかくナイフ作りっていうのはシステムだから」ってこと。とくにカスタムナイフはね。
鍛治屋という仕事があるでしょ。世界各国、もちろん、日本にもある。 その鍛冶の仕事は勘と経験に頼る分、バラツキの出る可能性がある。でもカスタムナイフはその差を小さくできる。ある程度の出来上がりのレベルの幅の中に必ず収めることができると。それをシステム化すればいい品物ができるし、一生かけてやっていけばかなりのいい品物をお客さんに渡すことができると。

「順序立てて考えろ」「ちゃんとシステムにしろ」「並べ方をキチッとしなさい」というのは、ナイフに限ったことじゃなくて何をするのでも重要だよね。整理整頓ってことじゃなくて、ひとつのものを完成させるために色々と手順があるでしょ。デザインから始まって。そもそもその前に「何を作ろうか」から始まるわけだけど、その並べ方の順番を間違えるといいものは作れない。だからやる前にちゃんと考えなさいと。
ボブさんは「俺はこういうシステムでやっているから、おまえも自分のシステムを確立しないとだめだよ」ってよく言ってたね。新しい技術を見つけたり開発したりすると折りにふれて「今オレ、こういうふうにやってるんだ」って話してくれたり。
あとはナイフ作りにおけるメンタルな面というか、気取った言い方をすると「哲学」だよね。ナイフを作る過程において、そういうボブさんの美意識の片鱗をうかがうじゃないですか。少しでも近づこうとして。その一部でも吸収できたら、他のナイフを見ても「ココをこうすればいい」とか見えてくることがある。結果、自分の作るナイフにも幅が出てきたよね。


【追いかけても追いかけても……】

ボブさんの下で修行する過程において、運良く決定的な挫折っていうのはなかったんだけど、とてもつらい時期ももちろんあった。自分の作りたいものはあくまで「ボブさんの」コンテンポラリーなアメリカンカスタムナイフだったから、ボブさんのナイフを懸命に、ただ闇雲に踏襲・真似しようとしていたわけです。でもいくら高精度に真似をしてみても、ボブさんの作品の横に並べておくと違いは歴然なわけ。「どうして同じテイストにならないんだろう?」ってものすごく悩んだよ。ある意味、失意のどん底だよね。そういう時期が長く続いた。
でもあるきっかけでふっきれた。ボブさんの下で修行するようになって数年経った頃には、僕もアメリカン・ナイフショーに作品を出品するようになった。その頃は日本からナイフショーに出品する人なんてあまりいなかった時代でね。そのナイフショーで、ある高名なコレクターが僕の作ったナイフを取って「これは君のオリジナルかい?」って聞いてきた。僕は「N0,Sir それはボブさんのコピーです」と答えた。コレクターは笑って「このナイフはもう十分に"アイダ・ナイフ"だよ」って言った。そのときは嫌だったんですよ。自分ではボブさん・ナイフを作っているつもりだから。「"アイダ・ナイフ"はねぇだろ。それは全然褒めてねぇよ」って(笑)。
ムっとしてると、その後に「君はちゃんとボブさんの道統を継いで君の形を作り出しているんだ」って言われた。そのときに目からうろこが落ちた気がしたんだ。「あ、そうか。継承できるのはボブさんの道統の一部分だけなんだ」と、そのとき初めて理解したんだな。つまり、ボブさんと同じものを作ろうとしたって、それは最初から無理だということに気づいた。だって、ボブさんだって常に進化してて、「今」に「自分自身」に納得していないわけだし。それを追いかけていく自分がボブさんになれるわけがない。今考えれば当然の話ですよね。ましてや一子相伝なんていう考え方がこの世界には全くないから。だからそのとき、「あぁ、いいんだコレで」って思えた。
やっぱり自分のやっていることってのは、自分ではよくわからないんだよね。自分ではラブレス・ナイフを作っていると思っていても、他人から見るとどこかに僕のアイディンティティとかオリジナリティが出てきちゃうらしいんだな。表現の仕方とかにね。つまりキッチリとラブレス・ナイフは作れないということ。あれはラブレスが作ってこそのラブレス・ナイフなんだから。
そういうことに気づいてから楽になったし、本当に僕自身のナイフが作れるようになったと言えるかもしれないね。俺は俺のナイフを作ればいいんだって。ようやく思えた。


【師匠の言葉が自信に

「一人前になった」と思えた瞬間? 実は「一人前になった」とは今でもあまり思ってないんですよね。けど、「なったかな?」と思ったのは40歳くらいのとき、ボブさんに
「このナイフのデザインはいいぞ」(注5)って褒められたときに、「あぁ何とかひとつクリアできたかな」って思ったね。
またナイフショーも、自分のナイフを売るためじゃなくて、自分のナイフが通用するかしないかを確かめるためにエントリーしてたんですが、8年間で24,5回ショーに出てみて自分のナイフが通用するってことはわかった。それで、それまで程頻繁にはボブさんの工房へお邪魔はしなくなりました。

注5 このナイフのデザインはいいぞ──「このナイフ」とは「3インチ・セミスキナー」。そもそもは、あるアウトドア雑誌の企画でC・W・ニコル氏のために作った1本。実際に使ったニコル氏が絶賛したことで火がついた。師匠・ラブレスもその完璧なデザインを絶賛。相田氏の代表的な作品のひとつであり、「ナイフの中のナイフ」と高い評価を受けている。


【100本のオーダーをさばけたとき一本立ちする自信がついた】

ソニーの「ファミリークラブ」っていう通信販売があるんだけどね、そこから「相田さんのナイフを出してみないか?」って誘われたんです。そりゃうれしかったですよ。ソニーというブランドからお声がかかるなんてね。で、どうせならより幅広い層の人が買えるように、3種類のナイフを作って通販に掛けましょうってソニーの担当者にプレゼンしたんだ。それが通って3種類出したら100本程のオーダーが来たんだな。もちろん予想以上だったからうれしかったね。
で、お客100人待たせるわけにいかないじゃない? だから親父にこう言った。「実は100本オーダーが来ちゃった。これは真面目にやらないとお客に迷惑かける。だからちゃんと作りたいんだ」と。そしたら親父も「しょうがねぇな」って。「おまえに家業を継がせるのをあきらめたわけじゃないけど、しょうがないからとにかくソレを作れ」ってなった。渋々ね(笑)。
で、結果は「100本」のナイフを納期どおりに納品できたんです。ボブさんに「ナイフ作りはシステムである」を教え込まれて以来、常に心がけ、スムースかつ大量に高品質なナイフを製作できる工房を設計・設備していたからこそできたんだね。
このことで、やはり進むべき道は間違っていなかったと実感した。この一件が、ナイフ職人としてやっていけるという自信をつかんだキッカケですね。同時に物作りをする身に大切な事は「責任とプライド」だとも教わった。


【責任とプライド】
 
「責任」とは、「ビジネスとしてちゃんとやる」ということだよね。いつまでに、どんなナイフを、何本、いくらで収めるという、契約事項をきちんと守る。当たり前のことを当たり前にやる。
その上で限界まで品質にこだわる。これが「プライド」。一定の基準以上のものを高いレベルの幅の中で、プライドにかけて作るんだという気持ちだね。
でもウチの親父はもっとすごかった。親父が社是に掲げてたのは「Our motto is quality」だったの。これはね、相当すごいことですよ。こう言った瞬間に抜き差しならないところまでいっちゃう。自分を追い込んで退路を断つなんて生易しいものじゃない。なんせ「我々のモットーは品質」だからね。絶対に逃げられない。もし他から「なんだこのナイフは」って文句つけられたときには腹を掻っ捌くくらいの覚悟がないと言えない。師匠のボブさんもこの社是を読んだときにニヤッとしてたね。お前の親父はすごい社是を作るなって。
僕もね、本当は自分のナイフに入れたいんだよ。「My motto is quality」って。でもできない。だから「責任とプライド」という程度に押さえとこうと。こういうことをうかつには言えない。そこまでの度胸はないよ。いつか使ってやろうと思ってたけどね。それは高邁すぎるんだよな。もう一生使えないだろうなぁ。だから僕の墓標には「"My motto is quality"と言いたかったけど言えなかった男」とでも書いてくれってね(笑)。
そういうことを経験する中で、これからナイフメーカーとしてやっていくためには、品質に対する責任と、お客に対して「僕のナイフを使ってください」「僕のナイフを手に入れられたあなたは非常にラッキーですよ」と胸を張って言えるようなプライドが必要だなって思ったわけ。


【他人と同じことをしてたんじゃダメ】

そんなこんなで、ソニーファミリークラブの100本を機に僕はこっち(ナイフ)側に逃げちゃいました。やったもの勝ちのなし崩しで(笑)。そのころはとにかく親父の呪縛から逃れたくてしょうがなかったから、これ以上の口実はないわけだよね。工場を継がせたがってた親父としては忸怩たる思いですよね。結果を出してちゃんと商売になってるから、引き止める理由がないわけですから。
その後もナイフ事業はうまく行きました。僕はなんだか知らないけど、人間運がいいと言うかね。今でも付き合ってますけど、僕と同じような考え方をもってる仲間がひとりいてね。そいつが出版プロダクションを経営してて、アウトドア関係の本やカスタムナイフの本を作ってるのね。僕もそういう本によく登場したりしてたから、そういった点では他のナイフメーカーや職人よりは恵まれていたと思うね。
でもね、やっぱり思い返すとボブさんのところに手紙を書いちゃったってところで勝負は決まってた。だって、それから後っていうのは「僕以後」っていう話になっちゃうから。どういうことかというと、ボブさんに他人を頼らず自分自身で直接手紙を書いて弟子入りした日本人はほとんどいなかった。つまり道のないところに道を作っちゃったわけだ。他にも僕と同じ気持ちだった人もいただろうけど、方法が思いつかなかったり、ふんぎりがつかなかったりしてできなかった。やりゃあちゃんと道が開けたかもしれなかったのに、やらなかった。この差が大きいってこと。
後の人はマネをすればいいだけだから楽だよね。どうやればいいのかもわかるしね。だって僕がもうやっちゃってるんだから。でもリスクがない分、得るものも少ない。やっぱり「最初にやる」ってことが重要なんだよね。
上を目指すんなら、やはり他人と同じことをしてちゃダメってことですよ。他人が右向けって言ったら左向いてるくらいで丁度いいんじゃないの?

【ナイフ作りは引き算】

ナイフ作りっていうのは引き算なんだよね。つまりね、頭の中でイメージしたことを足して作るんじゃないんです。どっちかというと木彫のように削り出していくわけ。ひとつの立方体の中からね。その中に形が見えないと彫れないでしょ。引き過ぎちゃダメだし引かな過ぎてもダメ。その感覚っていうのは器用・不器用って話じゃなくて、最終的にどういう形で仕上げるか、というイメージがあるかないかだけなんだよ。
以前、アメリカのある会社からナイフのデザインを頼まれて、その本社に行ったことがあったんだけど、そこのスタッフはコンピュータでナイフのデザインをしてた。「あ、この会社はダメだな」と思ったね。そういうものに頼りだしたら終わりなんだよ。
やっぱり頭の中に完全にナイフのラインがイメージされないとダメなんだよ。イメージできるってことが大切。イメージできなければ作れないからね。
すごくおもしろいことを言った人がいてね。音楽家なんだけど「気配が音に変わる瞬間がある」って言ったの。すごくいい言葉だと思って。ナイフだって同じなんですよ。ラインがあるんです、ナイフのラインがね。漠然とある。それが結ばれたとき、それが「デザインができたとき」なんだよ。だから「気配が音に変わる〜」なんて素晴らしいよね。そういうことが言えるようになれば大したもんじゃないですか? 目に見えないものから形にしてくっていうね。


【10本作って1本あるかないか】

もちろん僕だって、満足のいくナイフなんて簡単には作れないよ。10本削って1本できるかどうかかな。表に出せない方が全然多いんだから。ダメなのは捨ててるんだけど、素人が見たらどこがダメなのか分からない。でも僕にははっきりわかる。頭の中に確固とした理想のナイフのイメージがあって、その理想的なラインに近づけようとして削ってるからね。そこから外れちゃったものは失敗作なんだよ。
作ってる最中から葛藤のしっぱなしだよ。僕の中にはふたりの僕がいてさ。親方の自分と弟子の自分。やらせてる自分とやってる自分。作ってる最中でも、親方の自分が「そうじゃねえだろ」って言うんだよ。「それで本当にOKか?」って。そう言ってるのは自分なんだけど、ボブさんでもあるんだよね。僕の中にボブさんがいるんだよ。特にデザインの部分。「手を抜いただろ」「今からは戻れねえな。最初からやり直せ」「おまえはいくつになってもバカだなあ」とかって、僕の中のボブさんが言うんだよ(笑)。

でも中には「完璧とはいえないけども、それほど悪くないんじゃない?」っていう、許容の幅に入るかどうかっていう微妙なものもあってさ。そういうOKかダメか、あやしいものは壁に懸けて一晩置く。作ってるときは、これはダメかな? と思っても、翌日見たらいいじゃんってなる場合もあるし、やっぱダメじゃんって捨てる場合もあるからね。でも大抵「やっぱダメ」の方が多い。翌日見ると「やっぱり親方のいうとおりダメだよね」って(笑)。だからひとりでブツブツいいながら仕事してるんだ。ハタから見たらおかしい人だよね(笑)。
でもさ、出来上がったものをイメージしてる脳=親方と、実際にやってる脳=自分は違うんだろうね。とにかく頭の中のイメージに近づけるというメンタルな作業だから、常に自分自身の基準が、ある幅の中で揺れてるんだ。

1本のナイフを仕上げるまでに数10本作ったこともあるよ。だって「親方の自分」のOKが出ないんだもん、しょうがないよ。妥協したことはないかって? 確かにどっかで「これくらいでいいんじゃねえの?」って思うこともあるけど、それをやったら終わりだよね。職人として。だからやらない。特にデザインに関してはヘタなものは出せない。分かるヤツが見たら一発で分かるから。それが一番つらい。ナイフ作りを生業にしてるわけだからそこをごまかしているとダメじゃん。なんせ「責任とプライド」で作ってるから。自分の「責任とプライド」に懸けてそれはできないんだよ。自分自身、タイトなところに追い込んで仕事をしていると思うよ(笑)。



【理想のナイフ】

僕にとっての理想のナイフとは? うーん……難しいね。敢えて言うならば「切るための道具として正しく立脚したもの」ってことかな。「正しく立脚」っていうのは、ナイフが壁掛けのような飾り物であっちゃイカンということ。デコレーションされていてもかまわないけど、ナイフだっていうアイデンティティをどこかへ置き忘れちゃマズイ。刃、ブレードだけはキチッと刃物の役割を果たしていないとダメだろってこと。「切れる」っていうことは当たり前のこととして、大事なのは「ナイフとして使える」ってことだよね。
普段は犬でもいいけど、いざというときは狼になれる。ナイフはそうじゃなきゃいかんということなんだよね。


【ニューヨークスペシャル】

これまで作った中で一番印象に残っているのは「ニューヨークスペシャル」っていうナイフ。警察官が内ポケットに忍ばせる小さいやつなんだ。そもそもはボブさんがニューヨークの刑事とメシ食ってて、「こういうの作れないかな」という相談を受けた。それでナプキンに描いたらしいんだよ。「こんなんでいいんじゃないの」って。ドットボタン(ホック)がついててパチッとサヤの方に止められて、サッと抜け出せる。内ポケットに入れられるようにね。
ある日本人にそのナイフのレプリカの製作を依頼されて、何回目かのニューヨークナイフショーに展示したときに、まだ若い足の悪いハンディキャッパーが僕のテーブルに立ち止って、こう言ったんだ。「これはニューヨークスペシャルじゃないか! どうして日本人の君が知ってるんだ?」って。で、僕はボブさんの弟子でかくかくしかじかって話したら「僕はボブさんに直接オーダーして作ってもらったオリジナルも持ってるんだよ。でも日本人の君がまさかこれを作ってくれるとは思わなかった。このナイフは僕が買うよ」と言ってくれたんだよ。
そのショーは240〜250人くらいのナイフメーカーが出品してたんだけど、彼は帰りがけにもう一回寄ってくれて「このナイフショーで一番エキサイティングだったのはこのニューヨークスペシャルさ」と言ってくれたんだ。そりゃすごくうれしかったよ。そのとき、「若者は大胆な発想で心の高みを思い描いていれば、必ずなにか見えてくる」ということがよく分かったな。
そういったことがあって、そのナイフとお客さんがこれまでで一番印象に残ってますね。
あとは「ハンドスケルペル」ってナイフ。刃渡り56mmの小さいナイフなんだけど、C・W・ニコルさんが命名してくれたんだ。そもそもは、ニコルさんが皇居の近くを歩いてたときに警備の警官に職務質問されて、そのときナイフを持ってたことを注意された。僕に「どうして注意されるのか分からない。日本ではナイフを持って歩いたらダメなのか?」って聞いてきたから、日本には
銃刀法(注6)ってのがあってねという話をしたんだ。そしたら「だったら銃刀法をクリアする小さいナイフを作ればいいじゃないか」と言われた。それももっともだと思って作ったのがそのナイフ。ニコルさんに渡したら「これはすごい! 僕が命名してあげる」ってハンドスケルペルっていう名前をつけてくれたんだ。ニコルさんは雑誌で「僕はこれで熊でも解体できる」と言ったらまた人気が出ちゃってね。
今でこそこういう小さい使えるナイフはひとつのカテゴリーになっちゃったけど、当時はなかったんだ。アメリカのナイフショーに出したときもびっくりされたなあ。

注6 銃刀法──正式名称「銃砲刀剣類所持等取締法」。昭和33年に制定。■刃渡り15cm以上の「刀」、「剣」、「やり」「なぎなた」 ■「あいくち」 ■45度以上に自動的に開刃する装置を有する「飛び出しナイフ」(例外規定あり)の所持を禁じている。詳細はこちら


【自分のためにナイフを作る】

僕にとってナイフを作ることはどういうことかって? そういう質問は非常に困るんだけど、ひとつ言えるのが、ナイフを作ることが、自分にとって一番気持ちがいいってこと。何よりもね。
だから僕は僕のためにナイフを作っているんです。お客のためじゃない。自分が好きだから作ってるだけの話で。そのスタンスはどうも昔も今も変わってないみたいだね。自分の好きなものを作っているというだけのこと。
そりゃ頼まれれば作るけど、基本的には自分が楽しいから作る。だから 「平均的な貧乏」くらいにしか儲からないわけですよ。逆にまず売ることを考えると、どうもうまくいかないんだよね。
以前、イギリスを中心に活躍している女性ピアニストがテレビで話していたのを観て、あぁ確かにそうだな、と思ったことがあった。その人がどういうスタンスで演奏会を開いてるのかというと、例えばある作曲家の曲を弾く時に、最初に素晴らしい作曲をしてくれた作曲家に感謝をこめて弾く。次にそれを選曲した自らのために弾き、聴衆はそれを聴いてくれさえすればいい……というようなことを語っていた。少しばかり傲慢だけど、職人もある意味そういうところがないとダメじゃないかと思うんだ。つまり、お客に迎合しすぎたらダメだということ。
僕は自分のことを職人だと思ってるけど、職人ってそういう頑固一徹っていうところがないとね。フレキシブルな面も必要だけど、何か一本筋が通ってないとダメですよね。やっぱりね、ピアニストの話じゃないけど、職人の世界は媚びたらダメですよ。今の若い人達もそういうふうに思えれば、どんな仕事でもやっていけるような気がするけどね。
それは決してふんぞり返れってことじゃないんだ。自分の中の「作りたい」という気持ちに忠実であれってことだよ。だってその方が楽だから。やっぱり人生、楽しく生きたいじゃない? だったら自分の心に正直に生きた方がいいよね。


【客のひとことで救われる】

もちろん、いくらナイフは自分のために作ってるって言ったって、実際それをお金に変えて生活しているわけだから、僕にとってナイフ作りは仕事です。納期を考えたときには、あぁ仕事してるんだなって思うけど、でも、どっかでね……1本1本ナイフを作っているときっていうのは、思い入れっていうのがあるから。そういった意味では幸せに仕事をやってるよね。
さらにお客さんから、「非常に良かった。考えていた以上のものが出来てきた」と言ってもらえたときは幸せだね。その一言で救われちゃうよね。それが仕事のやりがいになってるね。


【大事なのは「ハード」じゃなくて「ソフト」 】

一人前のナイフ職人とは? これも難しいけど、「一人前」っていうのは自己判断しかないんじゃない? つまりこの仕事には資格があるわけじゃないからさ。自分が一人前になったと思っている気持ちと、お客さんの方が「この人の製品は安心して買える」という信用が一致したときなんじゃないですか? 
そのために必要なのは技術=ハードじゃなくて知識・情報=ソフトなんだよ。すごい技術を持ってるかどうかじゃなくて、引き出しの多さと、そこに入っているものの質と量なんだ。この辺、若い人はよく勘違いしてるんだけどね。

僕だってやっぱりナイフを作るときに、納得のいくようなデザインが湧いてこないとか、そういったつらさはあるよ。それを何とかするのは、結局引き出しの多さなんだよ。プロゴルファーのクラブを作ってる友人がいて、彼もよく言ってたけど、昔のいいものをすごく見てるから、他人より引き出しが多いって言うの。いいものを数多く見て自分の引き出しにしまっておくことが大事ってこと。そういうソフトっていうのは早い段階で自分の中に入れておかないとダメなんだよ。ある程度年数がたってからソフトなんて言い出すとみじめなもんだよ。それなりに有名になっちゃったナイフ職人で、デザインが浮かばないって頭を抱えてる人ってすごくいっぱいいるけど、「なんで?」って思う。そんなこと何年も前にやっておかなきゃいけなかったのに「今頃なんでそんなこと言ってるの?」ってね。
ウチに来る若い人も同じで、「ナイフ製作の技術を覚えたい」って。「違う!」って言うんです。ボブさんも「技術ってのは一生修行」だって言ってたけど、つまり技術なんて死ぬまでやるものだから、昨日より今日の方がいいに決まってる。そんな「ハード」の部分はどうだっていいんだよ。ナイフとはどういうものか、素材やしくみの知識はもちろん、過去の名作、歴史的、文化的変遷などの知識・情報をどれだけもってるか。つまりそれが「ソフト」の部分。それが下地にないと自分が満足できるものは作れないんですよ。


【ソフトがしっかりしてれば自然とオーダーは来る】

お客さんの満足のためにも「ソフト」は重要なんだよな。海上保安官や山岳救助隊員からオーダーが来るのは、僕の引き出しが多いからだと思う。鋼やハンドルなど、素材について詳しいからね。
例えば海猿くん(海上保安官)からナイフのオーダーが来たとする。使用目的、使用状況などをじっくり聞いた上で「だったらこの素材をこう組み合わせて作った方がいいんじゃない?」っていう話をする。例えば機雷の撤去作業をする場合は、信管に反応する鋼材だとまずいから非鉄金属であるステライトを使おうとか、そういうプレゼンテーションができるわけ。つまり引き出しの多さと引き出しの中に何が入ってるかの問題なんだ。引き出しが多くて中身がよければ、用途に合った使いやすいナイフができる。すると自然にオーダーも来るんだよね。
でも中には「この素材を使ってくれ」というお客さんもいるけど、ヒアリングをする中で、明らかに用途に適さない場合は、「あなたの用途にその鋼は向いていませんよ。こっちの鋼で作るべきですよ」とはっきり言う。たいがいは説明すれば分かってくれますが、中には「どうしてもこれで作ってくれ」という人がいる。そういう人には「ウチではできませんから、よそで作ってもらってください」って言います。そこは生産者責任だから譲れない。そのナイフで事故が起こった場合、いくら客のオーダーどおりに作ったからといっても、作った側の責任だと思うから。


【職人はナメられたら終わり】

あとは、引き出しが多くないと、お客さんに何か質問されたり、意見を求められたときに、とっさに言葉が出てこないんだよね。
僕の場合は、とにかくラブレス・ナイフに関するあらゆることを覚えようとやっきになってた。もう寝ても覚めてもボブさんのことだけを考えてたよ。だからラブレス・ナイフのことなら大抵分かる。
例えば、あるとき、さるナイフショップの社長が「相田さん、すっごくおもしろいボブさんのナイフが手に入ったから見においでよ」って言うから行ったら、見た瞬間にボブさんが7つしか作ってない貴重なナイフだってわかった。その社長に「こりゃとんでもないナイフですよ。『アメリカンブレード』(アメリカのカスタムナイフ雑誌)の1977年の6月か7月号を持ってきてください。ほら、ここに出てるでしょ!」って(笑)。
こういうことができなかったらナイフショップの店長とかコレクターとの話って成立しないんだよね。できなかったら「なんだ。大したことないな」と思われちゃう。もしそう思われたら職人は終わりだからね。なにより自分でこういうことができないと、常に誰かが何かするのを見てなきゃならない。そんなの嫌でしょ?
だから何かを志したときにまず吸収しようとしなければならないのは、ソフト(=知識・情報)なんですよ。ハード(=技術)はどうだっていい。後からついてくるからね。
ただね、そうやって一人前になったとしても、ナイフで食っていくのは難しいんだよ。日本ではナイフ製作だけで生計を立てられている人は10人もいないんじゃないかな。ナイフをうまく作れるだけではダメなんだよ。収入の面を含めて「労多くして得るもの少ない」世界だよね。実は僕も過去に一度挫折しかかったことがあったんだ。


【作りたいという気持ちが大事】

ナイフ職人になるための資質? 特にはないね。ナイフ自体は誰でも作れるから。大事なのはやっぱり「作りたい」という気持ちじゃないかな。情熱だよね。まずは「ナイフという道具を作ろうという意識」。だからうまく作ろうという思いはいらない。いきなり上手に作ろうと思ったって作れるわけがないから。特に「かっこいいデザインありき」みたい人は最悪だね。
ウチにはナイフを作りたいっていう若い人がけっこう来ます。こないだ来たのは、30代くらいの男性で、物心ついてからは何をするにもパソコンでずっとやってきて「コレでいいのかと思ったからナイフをやりに来た」って人(笑)。なんで急にナイフなんだよって思うんだけどね。あとはいきなり「弟子にしてくれませんか」とかね。唐突なんですよ。「なんでナイフなの?」って聞いても、肝心のそこらへんがどうも曖昧なんだよね。

「なぜ山に登るのか」という問いに「そこに山があるから」っていう有名な答えがあるよね。答えたのはジョージ・マロリーって登山家なんだけど、どうやら本当のところは違うみたいだよね。まわりにいるやつが「なんで登るんだ」ってしつこく聞くから、うるせぇなと思いつつ「そこにエベレストがあるからだ」って答えたんだって。
それと同じように「ナイフが作りたい」というんであれば非常によくわかるんだよ。とりあえず理由なんかわからないけど、強烈にナイフが作りたいんだっていう気持ちがあればね。でも「何かやりたいんだ」「何かを探してるんだ」って言って、ふと見たらナイフがあったからナイフだって言うなら、そりゃ志が低いって思うよな。
だって僕がボブさんに出会ったときにね、「自分が想像していたより、はるかに高いところにエベレストの頂上があった!」って思ったんだよね。僕自身がそうだったから、やっぱりそうじゃねぇだろって思う。「ここまで出来てるんだけど、ここから先はどうしたらいいでしょう?」とかね、まずは自分でやってみろよっていうことだよね。
そういう人以外でも「ナイフで食っていきたい」という職人志望の人の背中は押さないようにしてる。趣味で作りたいからっていうくらいの軽い気持ちでナイフの世界に入ってもらった方がいいと思うんだ。だから、古い友人から彼が運営してるカルチャーセンターで
「カスタムナイフメーキング講座」を開きたいので僕に講師として協力してくれないかとの申し出があったとき、二つ返事で引き受けた。 で、去年から僕の工房を教室にして年3回のペースでその講座を担当している。
やっぱりいきなりナイフ職人になろうったって非常に難しいしリスクが高いから、 まずは趣味から入った方がいいと思うんだ。ナイフ製作を教えることそのものは 全然嫌いじゃないしね。教えられることは何でも教えてあげようと思うよ。


【トップクラスでも平均的貧乏】

ナイフ職人の世界は、トップクラスでも「平均的貧乏」です。上手にナイフが作れても、それで生活するのは難しいわけですよ。収入の面を含めて「労多くして得るもの少ない」世界。
だから「なんでもいいんだけどなんとなくナイフ」とか、そういう低い志の人はやっていけるわけがないんだな。
ボブさんみたいなナイフ界の親方は別ですけど、それ以外はほとんどがナイフだけでは食っていけなくて、二足三足ワラジを履いてるからね。自分だけが食っていければいいというならまだしも、子供を大学まで出そうと思ったらたいへんですよ。特にバブルが弾けちゃってからはなかなか売れない。
包丁みたいに生活する上で必要なものであれば、1000円2000円で作れっていう話になっちゃうけど、ナイフって趣味のものだしひとつひとつハンドメイドだから、どうしてもそれなりの値段になっちゃう。モノによっては20万、30万円という値段でも売れることは売れる。それにしたってバブル期のように次々と売れていくってことはない。


【ナイフで大金を稼ごうなんて思っていない】

ひとついえることはね、みんなバブルで食えなくなっちゃったんですよ。なぜ食えなくなったかというと、多くのナイフ職人達がバブルでいい気になってバカな価格を付けちゃったの。高くても売れたからね。でもバブルが弾けて売れなくなっちゃった。一度つけた価格はなかなか下げられないからね。ブランドだから。で、みんな食えなくなっちゃった。周りを見回したら屍累々としてるわけ。値上げしたナイフ職人たちのね。そりゃそうだろうと思うよ。
僕もバブルのときに周りのナイフ職人たちに「価格を上げてくれ」って言われたんだよ。でも上げなかった。「なんでオマエらのために値上げしなけりゃならないんだ。べつに俺はナイフで大金稼ごうなんて思ってないんだ。平均的貧乏で結構じゃないか。今のままで道具も買えるし。だいたい何に使うんだ? お金稼いだって。僕より高く値段をつけるなんて勝手にすればいいんだから、好きにやりなさいよ。僕はこのままでいいんだから」ってそのままの値段で通した。だから僕は自分のことをナイフ界の卵だと思ってるんだ。ずっと値段が変わらない。昔も今も。
現在の状況を言ってしまえば、ナイフ職人が間引きされて丁度いい状態になってるんだよね。今、ナイフを始める人達ってこの状態から出発するから、逆にいいのかもしれないね。


【「how to make」から「how to sell」へ】

何年か前に村上龍さんの『13歳からのハローワーク』って本で「ナイフ職人」として取材を受けたことがあったんだけど、本の主旨とは全く離れたところに僕のポジションがあるんで困ったんだよね。実は本の原稿も書いたことがあって、そのときも非常に困ったんだよ。5年くらい前かな。「職人の仕事とは」というテーマでね。
職人といっても我々のやっているナイフの世界は、コレを続けていっても将来的に無形文化財とか勲章とか、いわゆる伝統工芸の職人さんが得られるようなステイタスがあるわけじゃないんだよ。そういった意味で一子相伝なんていうこともないし、教えられることはなんでも誰にでも教えちゃう。でもね、いくらいい技を教えても、この世界だけは伝統があるわけじゃないから、僕より上手に作っても僕より売れるっていう保証がないわけです。

世の中がこんな状況で、閉塞感もあって、ナイフを置いてくれるのはだいたい刃物屋さんなんだけど、そういうところがあまり積極的に置かなくなっちゃってる。だから、これからは上手に作れるだけじゃダメ。売り方も考えていかないと。「how to make」が分かったら「how to sell」へ行かないとね。
僕が若い時代には業界というか流通がしっかりしてたけど、今はインターネットの普及などであってないようなものだから。いわゆる「産地直送」という形式になってしまったのね。だからこそ「自分の売り方」というものを見つけないとダメなんだ。僕のやり方が正しいとは限らないからね。この、「すべては自分のやり方で決まる」ってのが他の仕事とは違うところかな。役者の仕事みたいなものかもしれませんね。
さっきと全然違うこと言うようだけど、この商売が食っていけないとは決して言わないよ。ナイフ愛好家はものすごく多いし。ポイントはそういう人達の前にどういう風にナイフを見せることができるかってことですよね。それが売り方っていう話なんだけど。
キチッと考えてこの世界に入って来てる人でも、今のところまだそこまでたどり着けていない。僕の見えている範囲だけどね。ナイフで身を立てる方法なんて誰も教えてくれないから。教えることができないと言った方が正しいかな。だから漠然とこの世界に入ってきても無理だってこと。この世界に入ってきて成功するには自分に合った売り方を見つけないとダメ。それは誰も教えてくれないから。方程式もない。やっぱり自分で考えて自分で行動するしかないんだよ。


【ナイフ製作だけで食えているのは10人いるかいないか】

ナイフ製作だけで身を立てられてる人って、どのくらいいるかって? 他人のことはよくわからないけど、おそらく10人いるかいないかじゃないですか? 仮に1本3万円として、月に10本作って全部売れたとして30万円でしょ。それが今、10本売れるかどうかあやしいから。それではとても食べていけないって普通は考えるよね。さらにバックオーダーかかえてやっていられる人間がどれほどいるかっていうと、そんなにいないんじゃないかな。
僕の場合は「平均的貧乏」で、次のナイフを作る材料を買ったり、家族をなんとか食わせるくらいの余裕はあるから経済的な面での悩みというのはない。もっと贅沢したいというなら今の状況は嫌でしょうけど、今の状況が自分にとってすごく居心地がいいと思っちゃえば問題ないからね。だって仕事したい時に仕事できるっていう自由な状況だからね。もっともそのぶん自分に厳しくないとダメだけどね。
これから僕よりも技術的にうまいやつらはどんどん出てくると思うよ。確実に追い抜かれるでしょう。それでも僕は食うことには困らないだろうね。なぜなら「相田ブランド」が確立できてて、それでナイフは売れるから。そのステージにいるという自負はある。だからどんなに技術的に衰えたとしても、死ぬまでナイフを作り続けると思う。好きだから。人のためにじゃなくて、自分のために作ってるから。
僕の場合、ナイフに割と簡単に出会っちゃった。本当はもっと向いているものがあったかもしれないけど、とりあえず今は平均的貧乏でやっていけてるから、「これでよかったかな」と思ってる。それよりも何よりもナイフが作れたってことと、ネットワークが広くなったので人生の楽しみの幅が広がったよね。ナイフ作りをやってなかったら知り合えなかったような方達とも話をさせてもらえたり。そういった意味ではラッキーだね。違う仕事、例えばナイフに出会わなければ家業を継いだと思うんだけど、そうなったら今みたいにはならなかっただろうし。 


【家族の誕生日には興味がない】
 
ちなみに結婚したり、子供が産まれたりといったことがナイフ作りに影響したってことは全くないね。子供にも跡を継いでほしいとか思っていないし。子供も僕の仕事に全然興味持ってないよ。家で仕事の話なんて出したこともないしね。
結婚したのは? ……定かではないけど25歳くらいじゃないかな。子供が生まれたのが26歳くらいのとき? あのね、僕、そういうの全然知らないのよ。結婚記念日も女房や子供の誕生日も。自慢じゃないけど何も知らない。だってそんなこと気にしなくても生きていけるでしょ。なんで知ってなきゃいけないの? って(笑)。それに関して別に女房も何も言わないよ。


【夢なんかじゃダメだ】

ナイフ職人として自分を成長させてくれたものは、やっぱり「大きな目標」だよね。「エベレスト目指しちゃうぞ」っていうね。やっぱり成長するには「世界一のナイフ職人になるぞ」っていう気概が必要だってこと。夢なんかじゃダメなんですよ。ウチに弟子にしてくださいって来るヤツにもよく言うんだけど、「夢なんかで来るな。明日になりゃ覚めるだろ。志で来いよ」っていうことだよ。ひと晩寝て、明日になって、それでもナイフ職人になりたいっていうならともかくね、今日思いついたようなことで「ナイフ職人になる」なんて無理でしょ。


【心筋梗塞で挫折しかかる】
 
ナイフ作りを辞めようと思ったこと? 「つらくて」とか「壁にブチ当たって」っていう理由ではないね。でも一度だけ挫折っぽい状態になったことはあった。2年半前に心筋梗塞をやったんだ。「50歳過ぎたらその先はオマケだよ」なんて生意気なこと言ってたら、55歳で心筋梗塞でぶっ倒れてね。あぁ、生意気なことは言っちゃイカンと思ったね。5年で終わりかよ? オマケが5年かよ? みたいなね。(笑)
 日曜日の朝、家にいるときに突然、胃袋がなんか調子悪いなあと思ったんだよ。なんか痛いっていっても身体の位置を動かすと痛くないところがあるもんじゃない? それがなかなか見つからなくてね。寝ても起きてもダメだったんで、こりゃダメだって、タダ事じゃないなって思って。
で、病院へ行ったら入院だって言われちゃうと思ったから即、風呂に入ってね。心筋梗塞の最中に。というのは、以前オートバイで大きな事故をして入院したことがあってね。そのときは工房で2、3日徹夜で仕事してて家に帰ってなかったから下着が汚くてね。病院の方はそんなこと気にしないとは思うけど、すごく嫌だった思い出があるんでね。
当然そのときは心筋梗塞だって思ってないからね。とにかくきれいにしとこうと思って風呂に入って。それで、すぐ近所にかかりつけの医者がいるから、日曜日だったから女房に電話させて、これこれこうでと症状を説明したら「それは、大変だ。僕じゃ手におえないから日大病院へ行った方がいい」って言うんだよ。「なんだ、頼りにならない医者だな」と思って(笑)。
それで日大病院へ電話して説明したら、日大病院の医者も心筋梗塞か狭心症だと思ったらしいんだよ。「違う」ってこっちは言ってるんだけど(笑)。救急車出すっていうから「いや、自分で行ける!」って言って息子に車運転させて。着いたら、医者や看護婦たちが待ち構えているわけです。いきなりニトロなめさせられて、心電図とられて。その結果、ウチ(光が丘の分院)じゃダメだから、大山の本院の方へ移すなんて言われて。でも、たまたま当直でいてくれた循環器の先生が「あぁこれは心筋梗塞だ。ただ今あなたは発作中!」って(笑)。そのとき初めて「え? 心筋梗塞?」って。
その医師は「これならウチでも大丈夫だから」って言ったんだよね。聞いた話によると心筋梗塞にはゴールデンタイムっていうのがあるらしくて、発作が始まって3時間以内に処置すると心臓のダメージが少ないらしんだ。僕は40分くらいで病院に着いたから良かった。いや、良かったのか悪かったのか……。そのまま逝っちゃえば、こんなことしゃべらなくてよかったし(笑)
それでカテーテルを右手首の血管に突っ込んで心臓まで伸ばしてね。片っぽに造影剤を入れて、自分の心臓がモニタに写るわけですよ。医者に「今、ここに入れましたから」なんて言われて。「おお、これがオレの心臓か」って。痛みはなかったね。血管の中って痛くないからね。でもイヤなもんだよ。決して気持ちがいいものじゃない。
それで心臓の近くの血管の中に2カ所、ステンレスのパイプを入れた。6カ月後にもう一回検査して、入れたステンレスのパイプが詰まっていなければ大丈夫だって言われてたんだけど、検査したらまた詰まってて。また処置を受けたんです。でも先生から大丈夫だと言われていながらダメだったから、そのときはすごくショックだったんだよ。これはもしかしたらよっぽどダメなのかなって思って。
そのときにナイフ取りますか、命取りますか、みたいな雰囲気に自分が追い込まれちゃって。その後は身体を戻さなきゃいけないっていうのがあって、非常に節制したかな。自分の身体のことしか考えられなくてね。なんていうか、少し精神的に落ち込んだな。心臓にはストレスが良くないからね。ナイフ作りはけっこうストレスかかるから。一時期は自分の身体とナイフの製作とのバランスを取ることがちょっと難しくて、嫌だった。
でも、ナイフ作りを辞めようとまでは思わなかったね。そこは前みたいにガツガツは作らなくてもいいと考え方を変えたことで、乗り切りました。死ぬにしても生きるにしても、我々職人は手を止めたら食っていけないからね。仕事をやらなきゃ心筋梗塞になる前に干上がっちゃうわけだから。そんなこと言ってらんねぇや、みたいなね。さぁ仕事、仕事! って感じで、立ち直りは早かったよ(笑)。
ちなみに今でも心臓の近所の右冠動脈って血管の中にステンレスパイプが2本入ってんだよ。

【ナイフが作れなくなったら死んだ方がまし】

だからね、僕にとって仕事とは、恥ずかしい言い方だけど生き甲斐かな。それくらいしか言いようがないよね。ナイフが作れなくなったら死んだ方がマシっていうか、死ぬしかないよね。他にやることが思いつかないんだから。息を吸ってるか、ナイフ作ってるか、メシ食ってるか、寝てるか。それから本読んでるか……くらいのことですからね。
人生の目標? ないない(笑)。多分そういったものは職人にはないと思うよ。ナイフ職人として目指すのは、やはり最初から変わらない「エベレストの頂」。やっぱり技術の追求だね。もう少し、まだ納得のいっていないところを、もう少し納得がいくように。完全に納得が行く作品なんて絶対作れっこないんだけど、そういうことを考えていかないと前に進めないから。

世界一のナイフ職人が頂上だとするなら、今五合目がいいとこじゃない? 先が見えないから楽しいというか、まだまだ先があると思ってる方が楽しみがあっていいじゃない(笑)。
そもそも、これからどこにたどり着くかはわかんない。本当に頂上まで行けるかわからない。でもナイフ作りだけは辞めない。僕にはこれしかないから。他にないから。